メシと道草

管理人みーるが書きたいことを書きます。

日々

褒め言葉を上手く消化できない

文章やダンス、歌や演劇、着飾ることで人生も、その全てが私の表現となり得る。

自分を表現することに関しては周りから一定の評価は得てきたが、私はその評価(特にプラスのもの)に上手く向き合ってこなかった。

嬉しい、ありがとうという言葉は出てくるが、そのどれもが表面を滑って、まるで人形になったような窮屈を感じた。

自己評価と他人からの賞賛の間に溝がありすぎて、本当に嬉しいのかよくわからなかった。

マイナスの評価には深く傷付いた。罪を犯した訳でもないのになぜ(特に)匿名で酷い言葉をかけられなければならないのかわからなかった。

また、「脇役でいようと努めているのになんで表に引っ張り出されて殴られなければならないのだ」と理不尽に思うこともあった。

 

人生においてでしゃばったつもりは一度もない

自分が好きな事をしていたら前に前に進んでいただけで、目立ちたいから表現をしているわけでは断じてない。

私にとって踊ったり文章を書いたり表現をすることは承認欲求よりも好きの気持ちが大きい。

だから実を言うと他人の評価に晒されるのがめちゃくちゃ怖い。

インターネットにモノを上げておきながらなんなんだと思われるかもしれないが、私は投稿や披露を含めて、誰かに何かを伝えることが好きなのだ。

伝わる人にだけ伝わればいいと思っているし伝わらなかった人に心無い言葉を掛けられるのはしんどい。

でしゃばり みたいな言い方をされることもあってそこそこ落ち込んだ。

楽しんでる人間にケチつけるの恥ずかしいよとかって返したけど内心こんなに伝わらないのなら死にたいなと思っていた。

 

自己評価が低い

「ダンスも上手くないし華もないので死んでしまうかと思う日も多かった」

私が先日投稿した文章からの抜粋。

意味がわからないと感じる人もいるかもしれないけど、私は本当にそう思っていた。

1つ目のコラムと被るが、自己評価が低い。

そもそも以前から私が自分の事を好きになろうと思っていたのは「自分を好きだと言ってくれる人に対して申し訳ないから」であったし、主体的に自分を好きになろうみたいな気持ちはない。

自分を好きになった方が人生楽しいよ、なんて周りの人には言ってるし周りの人がそれを実践してハッピーになっていくのを見ながらなんで自分は変わらないんだと絶望もしていた。

私はダンスも上手くないし、華もないと思っているが、その主観と客観のズレも多少あるようでそれにも悩まされていた。

ダンス上手い、表現力がある、みーるらしい踊りだ、顔や雰囲気がいい、華がある、オーラがある

実際言われてもピンとこなかった。苦しかった。

私が見る世界はいつもドス黒いフィルターがかかっているのか、周りが見る世界に綺麗な加工がされているのか、悩まされた。

 

「私らしく」踊れないならなんなのだと思った

振りコピは、コピー元の振りがあってそれを真似して踊るものだ。その覚える行為を振り入れと呼ぶ。

振り入れはいつもめちゃくちゃ苦しかった。

ダンスが下手すぎて、死にたいと何度も思った。

そんなことで と思うかもしれないが、私にとっては生存に関わることだった。

踊ってる時に人が褒めてくれたから、生きていてもいいのかなと思えた。好きな事をやって褒めてもらえるのはピンとこなくても悪い気はしない、嬉しいと分からなくても生存を認められている気がした。

ダンス以外でもそう。

好きな服やメイクで自分を表現すると褒められることが多々あった。

「自分らしく」あれば肯定されるのだと、生きていてもいいのだ、必要とされているのだと安心した。嬉しいと言う気持ちよりも安心が勝る感じ。

でも特に振り入れをしている時は自分らしさが分からなくてもうめちゃくちゃ泣いていた。

未だに振りがわからない時ちょっとだけ泣く。

「私らしく」踊れないなら、「流石」といわれない私は、なんなのだ。なぜ生きていなければならないのだ、とさえ思った。

振りを覚えていない期間の身体の動かなさは異常で、ほんとに消え入りたかった。

 

めちゃくちゃ忙しかった今年の振り入れ

7曲中、完全に覚えていたのは2曲で、10月からバイトがめちゃくちゃ忙しくなっていた。

今現在ほぼほぼヒモみたいなものなので娯楽でバイトを始めたんだけど、出戻りで即戦力なのもあり時給1000円程で15万超えるくらい入っていた。

そんな中、特に本番10日前くらいからは10時〜21時までバイトで22時から25時半まで振り入れみたいな生活をしてて26時くらいに寝ていたんだけど、足の疲労がすごかった。

お風呂上がりフットマッサージャーに片足10分突っ込む生活。

今回もいつも通り弱音を吐くこともあったけど、あまり長い時間弱音を吐いていても振り入れが進まないだけだったので30分くらいで立ち直っていた。

お陰で完璧とは言わないまでも、及第点以上のものは見せられたのかなと思います。ソロ曲とか1番後回しにしたせいで3日くらいしか振り入れ期間が無くてめちゃくちゃ病みそうになりました。

でも病んで振り入れ諦めたらもっと病むことが分かってるので「下手だ、できない」って30分泣いて「気持ち切り替えよ」とか言ってた。ウケるね。

忙しいと病まないって言う人いるけど、あれは嘘ではあるけど、忙しいと病んでる暇はないなって私も思いました。

相変わらず一緒に踊る人みんな華があるしダンスが上手いしでバチバチに病みそうだったんだけど、流石に時間がない中毎日努力してるうちに他の人がどうとか考えてる暇なくね?ってなりました。成長。

誰がなんと言おうと私が1番だしお前が1番。それぞれが「自分が1番だ」って思ってたらいいのでは?って思った。

自分より巧い人を見ると主役の座を譲ってしまいそうになるし、私は今まで言わなかったけど誰かと踊る時いつも心の中で相手に主役を譲ってました。去年も。

そういう意味では今年はめちゃくちゃ成長できた気がします。他人からどう評価されようが自分は素敵で無敵みたいな気持ち、人間皆持っとくべきなのかもしれない。誤魔化しではなくて。

 

表舞台で、初めて「最強」になれた

卒業しても学祭出るのかよ。私もそう思う。

そう思っていたから出るか出ないかについてはめちゃくちゃ煮え切らない態度を取っていて「呼んでくれたら出るけど〜」みたいな態度でいた事はマジで後輩に迷惑かけたな〜と今になって思います。

その節は本当にごめん、ゲスト申請してくれててありがとう。

昨年、薔薇の花束をもらって大号泣して終わりにする予定だった活動に卒業してまで参加することに微妙な葛藤はあったが、せっかく出るのだから、と新曲をいくつか増やした。

今年の曲はどれも気に入っているけれど、その中でもやはりソロで踊った「乙女解剖」についてはかなり気に入っている。

衣装は4月の暮れに受注して10月末に届いたrurumu:のピンクのワンピースで、曲は乙女解剖。振り入れの難易度もかなり高く、前述のとおり振り入れにかける時間がかなり短くなってしまったため、プレッシャーはひとしおだった。

ソロ曲というものは、2人以上の曲と違って誰にも主役を譲れないもので、自分が主役になるしかない曲、でもある。

昨年よりも難易度が高い曲で衣装についてもかなりこだわりをもって選んだこの曲で、私が見せたかったのはダンスでも表情でもなく「私の22年間の生き様」だ。

諦めと寂しさと少し意地を張って完璧を装うとしてきた不完全な私の生き様が少しでも伝わっていたら嬉しいなと思う。

ダンス表情メイク髪型スタイル衣装メンタル、全てでもって今の私の「最高最強」になれたのがこのソロ曲です。

ちなみにこれについては表情ダンスともにわざとらしさをなるべく排除して自分らしく踊っているのも若干のポイントで、今動画を見直してもかなり自分らしい表現だなと感心しています。(Twitterをフォローしている人は、固定ツイートにまだあるのでこの文を読んだ後改めて見返してもらえればわかると思います。)

そんな風に、「自然体の自分」をパワーアップさせてあくまで自分としてこの曲を踊り切ったことはかなり肯定感を上げてくれたし、ダンスや表情について特に劣等感があった私にとっては、自分のあるべき形を見直せたきっかけでもあります。

見てくれた人、感想をくれた人、改めて感謝です。

ちなみにこの曲の私が設定した裏のテーマとして「人形遣い」というものがあるのですが、これは私が自分の人生を自分なりの客観を交えて主観的に表現するぞ、という気持ちがあったよということです。

私はいつも、ほかの人が思っているより弱くて、評価と自己評価の間の差異で希死念慮を抱くほどの人間なのですが、今回の舞台上での評価は以前よりもすとんと自分の中に入ってきました。

毎度意識的にほかの人間を励まして褒めまくっている自分が、ほぼ初めて他人からのいい評価をちゃんと受け入れて、自分を褒めることができたのは成長かなと思います。

 

おわりに

まとめるのが難しいのですが、楽しかったです。本当に。振りコピは人生だなって。

最後に。今回かかわってくれた皆さん、舞台に出してくれ、一緒に踊ってくれた後輩たちへ。心からの感謝を。

また、誰かと比べて自分がちっぽけに感じてしまい、主役を譲ってしまうあなたへ。

どんな素晴らしい技術や存在感を持っている人がいても、あなたらしいダンス(表現)はあなたしかできないから、主役を譲らなくていいです。でしゃばりと思われても、誰もあなたを否定なんかしちゃいけないと思ってる。主役になりたいのに自分の人生の主役まで譲って、誰かの引き立て役にならなくていいヨ。

 

追記

今まで努力してないよ〜みたいな顔するのが癖だったんですけど、今回はバリバリ努力しました。

いやいつも努力してるんですけど、今回初めて「努力してるよ」って言えるくらい自分を認められたことがとても嬉しいです。

努力したよ。

恥の多い人生を送っています

大学卒業、就職せず

理由はブログで述べた通りで、そこそこどこにでもあるような話でした が 私は自身の凡庸な人生が波風1つ立たないまま進んで行くことに強い不安を覚えるのです

髪が茶色から黒になって皆と同じ窮屈なスーツに身を包むことで、自分の小指の先ほどの個性も消えて 私には死んでしまうかのように思えたのかもしれません。

 

 

コンパニオン、キャンペーンガール

ヒールが痛く、今まで経験してきた労働の中で1番 何かがすり減るような仕事でした

この時期 生活のために仕方なく染めた黒髪は 案外似合っていて、少し複雑な気持ちになりました

足や胸をジロジロ見てくるおじさんは実在していて 私はどうしようもなく小さくなりました

立ち仕事に長時間労働、おまけに苦手な早起きで遠いと往復4時間近いところに派遣され 倒れた時にはストレス性の眩暈と高熱 扁桃炎に肺炎と、なぜ気付かなかったのか不思議な 小さな不調が重なっており 若干揉めて 私はその仕事をやめました。

 

 

ニート

貯金があった

それと倒れた後の肺炎が長引いたのです

下記の在宅サービス業はしていましたが、生活っぷりからいうと私は世間で言うところの穀潰しでした

2ヶ月半くらいその状態で 毎日ご飯を食べて 寝て 起きて家事をしての繰り返しでした

もはや生産活動など1つもなく、消費活動さえ満足に行えませんでした

この時期の迷走っぷりは凄まじく、2軒のコンカフェに応募して落ちたり

自棄になってできもしない活動頻度のアイドルに応募して書類が通り、話を聞いたら怖くなって辞退するということも2回やりました

何者かになりたくて 誰にも必要とされなくて、では私は何のために生きているのか 死んでいるのと同じではないか と毎日のように泣いていました

お金を稼いでいなかった事も大きかったと思います

実は忙しくもないのに食事もロクに取れなかったです。

 

 

通話サービスの中の人

キャラクター性がある通話サービスの中の人をしていました

周りの人が同人声優、みたいな環境でした

嫌な人にも沢山会った

まるで私に心がないかのように お金を使う価値がないのに金を払っているんだというように そういう風に扱われた事もあって 人気な時期もあったけれど 次第に辞めたいなと思うようになりました

ちょうど違う労働について もうそれらに構えなくなり 実もならないので辞めました。

 

 

飲食店で働く

現在も続けています

どこに応募したら受かるのかもう分からなくて、大学1年の時に働いていたお店の系列店に応募しました

暫くはこれが救いだったし 生活を送るという点においていうと今でも救いです

死ぬ事だけに救いを求めていた日々から抜け出せた事は感謝してもしきれないし、東京は最賃が上がる時期だったので 良かったです

でも これでいいのか フリーターとして働いていれば幸せなのか 自分のやりたい事はなんだと考えて再び病みました

こんな事で病むなとか 本当に鬱の人には怒られるかもしれないんですが ニートの時と同じような日々が続きました

食べなかったり 壁に頭をぶつけたり 軽い自傷を行う事も多々ありました

足立区の路上で座って酒を飲んでいたらおばさんが心配してくれたので、足立区も捨てたものではないなと思いました。

 

 

踊ってみた

本当はステージに立ちたかったのですが、誤魔化しでやっています

仕事もまともにできない 生活もまともにできないのに 趣味1つさえも持てないなら自分は何者なのかと思いました

でも コメントがついたり再生が伸びると嬉しいとは思いますが やはりステージとは全然違った

二度寝して起きたらコメントが運営に削除されていた事もあり、あ、嫌な事書かれてたんだってちょっと怖くなったりもしました

生きて踊ってるだけなのになって、それも私の勝手ではあるのですけれど。

 

 

地底アイドル

先日顔合わせをしてきました

なんでここにいるんだろうと思うような若くてかわいい子もいたりして なんだかよくわからなかったです

ともかく、ステージに立たないとよくわからないのかなぁとも思いました

不安も不満もあったりなかったりして ? 複雑な心境ですが、 何事も多分やってみないとわからないから なんもいいたくないや

でも多分みんな興味ないと思うからこっちのアカウントでは詳しくは言わないです

誰も来てはくれないんだから最初から期待なんかしたくないからです

すごい後ろ向きだし そこを直さないといけないってことはわかってるんですけど なかなか直らないです

自分が愛される価値のある人間だと思えないな、自分の人生くらいは自分をセンターにしてあげたいのに。

 

この4月からはこんな感じで過ごしています

大学時代の友人と会うのは楽しいです

ずっと大学生でいたかったな

かなしい。

 

後輩はすごいって お世辞でも言ってくれるけど 私は何もすごくないし どこにでもいる人生の落伍者だ

弱い人間だった過去と決別しようとしたのに 未だに弱い人間のままだ

小学校に上がって名字が変わっていると いじめられる前は明るい人間だったらしいが 私はもう 虚勢を張らないとほかの人間の顔を満足に見つめることさえできない人間になってしまった

どれだけ仲が良くても 顔色を伺ってしまう自分がものすごく嫌で 死にたいほど惨めだ

本当は誰よりも自分を見て欲しい気持ちが強いのに 病んだ時に突き放す人間を見ると 裏切られたと感じる自分が嫌で もう誰も私を見ないでくれと思う時さえある

去年の学祭で 一緒に踊った後輩が お客さんの視線が全部私の方に向いていたと言った 悔しいと聞いた

正直言って複雑な気持ちになった 私はそんなに大層な人間ではなく 気の所為だと思うのだ。

 

実は今年もゲストとして学祭で踊ることになった

見にきてくれとは頼まないが 来てくれたらそれは嬉しいし ついでに楽しんでいってほしいなと思います

私が踊るのをみて サークルに入ったという声に 未だにうまく向き合えていない

あと1ヶ月でこの性格がどうなる ということはないが もう少しだけ 他人の言葉を認められるようになりたい。

 

 

おわり。

恋愛のアドバイスは、いつだって「当然」でしかない

他人は、「私がどう振る舞うか」を見て、私がどういう人間かを判断する

「私はこんなに頑張っているのに・尽くしているのに」という人間を見るたびに、そうだから適当に相手にされてしまうのだ。と悲しく思う。私はそういう呟きを見るたびに本当に泣きそうになる。努力というものは適切な方法以外では成果を為さないということを真の意味で理解するのは難しい。こうやって文章を書いて、読んで当てはまるひとはきっと嫌な思いをする。しかし私は言わずにはいられないし、嫌な思いをしたならきっと当てはまってしまったということなのだ。

 

大事にされたいという人は多く、「大事にされていてうらやましい」と言う言葉を投げかけられることもあるが、私が大事にされているように見えるのは「私が、私を大事にしたいと思わせるような振る舞いをしていたから」に過ぎない。私はわがままで喜怒哀楽が激しく思ったことはすぐ口にする。相手に不快な思いをしたことをストレートに伝えるし、自分がどのように扱われたいかを明確に伝えている。もし恋人に「自分の思い通りに扱ってくれない」という反感を抱いているなら、普段の行動を振り返ってほしい。私は嫌なことをされたら泣いたり怒ったり激しく非難するが皆さんはどうだろうか。

 

よく恋愛に悩む人間が口にするのは「相手のことが好きだからこそ自分のわがままを伝えるのは申し訳ない」という趣旨のことであろうか。とんでもないなと思う。はっきり言って時間の無駄だ。死ぬまで付き合っていたいと思ってくれる人間であれば、自分が精神的・肉体的に重い病気を持っていようが、どうしようもない欠点があろうが別れないはずで、思っていることを伝えられたくらいで幻滅するなら自分は相手の「人生を変えるほど大事な人間」ではなかっただけの話だ。そんな人間と長々と付き合うくらいなら、別れて別の人間を探した方がいいのかもしれない。ほんとに大事にしてくれているのなら、「嫌だからやめて」と事前に言ったことをやるだろうか。事後に謝ったって事実は消えないのだから謝ってくれたから、といって許すのは自分を大事にしていないのではないかと思うし、相手のご機嫌のために自分が傷付くような恋愛は破滅の道しかないからやめた方がいいのかもしれない。

 

自分を大事にできない人間はあまり愛されないのではないかと思う。自分がまず自分を大事にしていないのに、誰が「この人は大事にされるべき人間だ」と思ってくれるんだろう。私はメンヘラだし、心病む病む自傷メロディだから自分にとってもここは痛い問いなんだけど、せめて人前に出る時は自己肯定感高めでいようと思っている。卑屈になっているときは極限外に出ないことにしている。ロクなことがないからだ。マジの狂人なので見ず知らずの他人に当たり散らしてしまうし、そう言う時にぶつかりおじさんやナンパに遭うと死にたくなるし消えてくれと思ってしまう。

 

久しぶりに長い文章を書いたので、多分きっとこの文章は読みにくい。だから結論をまとめておこうと思う。

主題:恋人に大切にされるにはどうすればいいか。

結論:自分を大事にして、相手に嫌なことをされたときはそれを言語化してはっきりと拒絶の意を示す。それで相手が引くようなら端から恋愛すべき相手ではないし、もっといい人がいるはず。自分が相手の大本命であるなら拒絶したことをやるはずがない。

 

おしまい。

終末もこんな感じだろうね

毎日が私の人生、最後の日だ

平成最後、と銘打ってブログを書いてる人がチラホラと見られるけど、そんなに特別なものか。

 

今日はお休みだったから10時くらいに起きてそこからダラダラゲームをしていた。昨日から始めたスポーツゲームのおかげで腕は筋肉痛だったし、今日もやったので身体がバキバキだった。

変わらない日常をそのまま過ごす気持ち。

 

確かに、今日で平成は終わるらしいし、明日からは令和らしい。でも残念ながら私は平成にやり残した事もやり遂げた事も置いていきたい事もない。

そもそも平成に途中から参加した身だしそんなものだと思う。

 

終末になっても多分同じように日常を過ごす。ちょっとした変化を受け入れながら日々を消費する。

終末と唯一違う事は、明日も生きていることだ。

改元後も私は生きているし、これからも日々を暮らしていく。

 

人生は変わらない日常の消費に少しの変化をスパイスにして暮らす有限の日々だ。

今日になって○○ができなかったな、なんて言ってるなら今日にはそれを成し遂げるための行動をしろ。今日殺されても満足して幕を閉じるなら毎日が最後と思って生きるべきだと私は思う。

 

生きる事は死ぬ事で、人生は良い生を送る事と、死について真面目に考える事の繰り返しだ。明日を当たり前だと思って生きる人間に真の意味での人生はないだろう。

気を引き締めて、私は今日も「人生最後の1日」を謳歌する。刺されて殺されても、あぁ今日のメイクは最悪だったなと思わなくて済むように1番似合う赤を唇に載せる。

 

毎日が新しい自分で毎日が最後の自分だ。

その事を忘れずに、私は刹那の日々に生きる。

 

ps.今日の思い出を書きます。

今日は、しらいちゃん展初日だった。しらいちゃんとは、私が推している女の子で、マジで可愛い私にとってのアイドルの権化だ。

東京に来てからの初めての現場で、これは行かなくてはな、と思って参戦した。別にライブじゃないから戦争ではないし、個展だからゆったりしていたけど。

しらいちゃんと言葉を交わして手を握ってチェキを撮ってもらった。初めての推しとの接近でガチガチに緊張したけど、とても嬉しかった。

「推しが存在する、、」「うふふ、こんにちは」「あの、めっちゃ好きです」「ありがとうワンピース可愛いね」「しらいちゃんとっても可愛いです」「目線が可愛い〜」「今日は初めて来たんですけど、また来ます」「ありがとうまた来て〜」

平成が終わるこの日に推しに会えて嬉しかった話。f:id:mieal:20190430164020j:image

郷愁に明日なんかない

ステージが狭く感じた

数ヶ月ぶりに後輩たちに会って、その前で踊った。

今回は終わってみると反省点が目に付いた。

平たく言うと私のダンス全体が、2018年11月から大差がない事だ。

 

私はよさこいなどもやってきて、ある程度場慣れ(人前で踊る事に)していたが、今回は正直言うときつかった。

恐らく、メインは初対面の、先輩たちの踊りを注視して真面目な顔をしている人に向けて踊ったからだ。

技術があれば客席なんて見なくても集中ができる。

しかし、今回ひしひしと感じたのは「私のダンスは雰囲気重視である」と言う事だ。

 

ダンスを雰囲気に任せるということは、技術に頼って自立したものではなく、受け手にある意味では丸投げするのと同じ事だ。

そのため、受け手の感情を重視して時間が流れる。

もちろんそれは大事だが、私はその時間が自立している時間より長い。

 

雰囲気:技術はおそらく5:5がいい。

しかし私のステージは前者が8、後者が2だ。

そのため、ホームグラウンドでないところや受け手の好みのダンスでない時にはパフォーマンスがどうしても下がる。

つまり、私の事を好きな人間・その曲やダンスが好きな人間はノリやすく、そうでない人間は耐えるしかない時間となる。

 

そういう意味もあり、今回のパフォーマンスは500%の力でやった。(学祭は250%くらいだ)

それくらいやらないと楽しく踊れないと感じたし、私の場合これを技術で補えないからスタミナを一気に消費する事となる。

結果、2曲目の2番を過ぎたあたりで吐き気に襲われた。なんとか踊りきれたが、こういうことが起きるのはスタミナと技術が足りないからだ。

 

ステージから退いた後に1曲目の後も2曲目の後も寝ていたり黙って座っていたのは限界を超過していたからだ。

それでも、総合点では100%の実力を出し切ったと思う。しかし、今後もこのような踊り方ではいつ故障するかわからないので、これからは技術の底上げを図る事にした。

 

ステージに反省点が目立つにもかかわらず、私はこのステージを狭く感じた。なにも、場所が狭いという話ではない、感覚の話だ。

ここでずっと満足して踊っているのではダメだろ、と。

常に味方がいる場所からずっと出ずにひきこもっているようでは、赤ちゃんと同じだ。

 

私がなぜ踊り続けるか、というと、その根本には「自分の力で、表現で他人を幸せにしたい」という気持ちがあるからで、できるだけ多くの人を幸せにしたいのに小さな箱に閉じこもるのでは意味がないのではないか。

それを今回再確認させてくれた可愛い後輩たちには心から感謝している。

 

私のステージを見て憧れて入った、という子がいた。また、流石とか輝いているとか楽しそうとか言ってくれる後輩もいて、それとは別に一緒に踊りたいと言ってくれる子もいる。

それ自体はとても嬉しいし、感動して思い返す度に泣きそうになるが、たまに

「自分は尊敬に値する人間ではないのに、もっと頑張らなきゃ」と思う事がある。

後輩たちはみんな上手に、何より楽しんで踊るし、あまり踊らない子も活動を楽しんでいる。

端的に、いい子達ばっかりだ。

その子達に褒められると、本当に自分はそれに値する人間であるのか?と悩む事もある。

 

「振りコピ班」は実家のようなものだ。

実家は居心地がいいし、そこにいていいんだと思わせる作用がある。

私は実家である振りコピ班が好きだからこそ、それ以外でもちゃんと踊らないといけないと感じた。

 

できる事なら後輩をはじめとする褒めてくれた人達にこの先も尊敬されたいし、その為には自己の向上が必要だ。

後輩たちには悪いけど、呼ばれたら120%のパフォーマンスをしてこれからも流石、と言われるような人間でいるし、客席からの視線は殆ど独り占めする。

好きであるからこそ後輩たちには負けたくないし、私は到達点ではなく移動し続ける点Pのままだ。

いい先輩であれば「自分を超えてみろ」というかもしれないが、私はそんなありきたりな「先輩キャラ」ではない。

これからもずっと死ぬまでずっと一歩先で踊り続ける。

 

最後にまとめておくと、今自分がすべきことは基礎練習だ。今まで疎かにしてきたからと言われると耳が痛いが、気付いた時点で変われる可能性があるということ。

絶対に技術力を底上げして、次会った時もアチアチになれるように。

限界を決めるのはいつでも自分だし、データなんか当てにならない。悔しいなら向上するしかない。

 

rurumuが届いた

縷縷夢兎を身に纏う「女の子」

 

今日、2018年の暮れに頼んだrurumuが届いた。

2018年の2019ss受注会では、地下アイドルの子やミスiDの子たち、私よりも遥かに自分を愛せる子たちの手にあって、触れる事すらままならなかったrurumuに触れることができた。

 

簡単に説明すると、縷縷夢兎とは東佳苗さんがデザインする1点もののニットのお洋服のことだ。

今回私に届いたrurumuは誰のための服、ではなく誰かのための服だ。つまり、もっと沢山の人に作られたものとも言える。

 

縷縷夢兎は、私にとって、「アイドル」の子しか着られないお洋服で、大森靖子さんなどが着ているお洋服だ。最近はZOCのメンバーに新衣装として提供された。

 

rurumuは縷縷夢兎を一般化したものだ。でも、私は普通のお洋服とは違って、これがちゃんと選ばないと着ることができない事を知っている。

 

縷縷夢兎は、rurumuの中にも息づいていて、それ故にrurumuも人を選ぶ。と私は思っている。

私は、選ばれる自信がないのに、その自信を未来の自分に託して縷縷夢兎を買った。

 

髪を黒く染め直して、赤リップに赤いチークを塗る私は、まだ理想には程遠いけど、確かにあの時よりも1歩踏み出した私だ。

 

今度の2019awコレクションは、私からちゃんと選びたい。「選ばれないかも、選ばれるかも」ではなくて、私から「これ」と選びたい。

 

ちゃんと纏う事が出来たら、もうきっと素敵な私になってる。なぜならrurumuを纏う「女の子」たちはみんなあんなにも素敵だから。

 

 

おわり

「東京で踏み出した一歩だってローマに続くかもしれないし」

信じる道はいつだって遠回りだ

月1回くらいは、その時の自分の気持ちを文章にしたいと思いました。

御無沙汰しております。学生からフリーターになったみーるです。

最近はプリズムのきらめきを浴びながら生活しているので調子がいいです。

プリズムのきらめきとは何かというと、細かい説明はあまり意味をなさない(言語化出来ない感動がある)ので、キンプリ(アニメの方)・キンプラ・プリリズRLを見てください。現在キンプリーシャイニーセブンスターズ(通称スッスッス)ーが劇場で公開中です。また、4月8日深夜からこちらのアニメがスタートします。

プリリズRLについては現在YouTubuで無料配信中です。私も友達に教えてもらい、現在履修中ですが、これを見るとキンプリシリーズはもっと楽しめるのでオススメです。

派生作品だからね。前置きが長くなってしまった。今回は近況報告です。

 

最近、接客系のアルバイトを始めました。まだ初出勤については決まっていないのですが、頑張ろうと思います。応募した理由は、面白いからです。

今まで接客経験は飲食店で合計2年半、その他で半年計3年ほどありますが、1か月ブランクがあるので緊張します。

今まで自分は全然しっかりしていないと思っていたのに、フリーターとして世に出てみると仕事で関わる人の多くからしっかりしていると言われるようになって驚いています。

 

接客のアルバイトをなぜずっとしているかというと、それがアイドルに繋がると信じているからで、なぜかというと、私の根底には「人を幸せにしたい」という思いがあるからです。関わった人、すれ違う人が一瞬でもハッピーになれるような人間でいられたらそれはいいことだと思います。職業の冠がついていなくてもアイドルだと思うし、私はせめて誰かのアイドルになりたいのかもしれない。

 

回り道をしていると不安にはなるけど、東京で踏み出した新しい一歩はローマに繋がるかもしれない。という気持ちで日々生きています。

全ての道はローマに通ず、ローマにたどり着かなかった場合は、距離が足りなかっただけかもしれない。

 

私はまだ、自分の中にある「好き」って思いをうまく言語化できていないから、たまに他の人からもらう称賛の言葉が信じられない。踊ることは確かにハッピーなことだけど、私が踊ってるのを見て本当に感動するの。と懐疑的だった。他人をあまり尊敬できないからこんな思いを感じるのだと思った。

で、前置きに戻るんだけど、プリズムショーに私はひどく感動を覚えました。心からショーが好きって気持ちが伝わってくるし、多分私を褒めてくれた人はこういう気持ちだったのかなとも思いました。

 

もっと踊りたいなと思うと、自然と振りが溢れてきて迷いや不安が全部消える気がする。歩きながら手が踊るくらいには、私は踊ることが好き。東京の街は駅の近くにでるとガラスが多いんだけど楽しそうに微笑む私が好き。踊っているときの私はまるで別人の様で、私は映る私に憧れを抱きさえした。虚像の自分とリアルな自分を近付けたいと思った。

 

そういえば、最近髪を真っ黒に染めた。不安になるほどの黒髪は、私が好きなしらいに似ていた。こんなに人工的な黒髪は不自然なほど私の顔に馴染んだ。茶髪の時は顔がきつく見えていたし大好きな赤リップはちょっぴり子供っぽくて品がなかったけど、黒髪にするとおとなしそうな白雪姫の様にみえたし、憧れのアイドルがしがちなメイクもよくなじむようになった。4年間お世話になった茶髪を染めるのは不安だったけど、黒髪にするとお人形さんみたいになって正直嬉しかった。ジルスチュアートの手鏡が欲しくなった。今まで似合わないと遠ざけてきたお姫様みたいな化粧品。それを眺めるとうっとりしたし、次の日には嬉しくて4か月ぶりに自分で髪を巻いた。

 

4月に入って、骨格診断にも行った。今までウェーブだと思っていたけど、担当してくれたお姉さん曰く、「わかりやすいストレート」らしい。こんな服も似合うのか、という気付きがあった。今まで避けてきた広がらないスカートを買ってみたくなった。

もしかしたら、今月中に自分のイメージが定まるかもしれない。髪色を含めて、私はなりたい私に近づくことができている気がする。

 

変わることは怖いし、数週間前に抱いた決意も読み直すと未だに怖くて涙が出る。踏み出すのは勇気がいることだけど、なあなあな人生に何があるというのだろうか。

私は私が心からしたいと思うことに真摯に取り組みたい。一日一日を無駄にしない。

4月は始まって4日だけどいろんなことができている。毎日自分に100点、そろそろ踊り出す夜が来てもいいと思っている。