「絶対女の子がいいな」
我儘をやりたいと思った話
タイトルは大森靖子の絶対彼女から取りました。
アツイ、最近ZOCも大森靖子もアツイ。
もちろんしらいもじゅじゅもアツイ。
卒業の折になって
本当にやりたい事が出来てない事に気付いた。
親と核心を話すこともなかったから。
大学の4年間でずっと茶髪だった。本当はインナーカラーとかグレーアッシュにしたかった、と言ったら「言ってくれたら良かったのに」と言われた。
そこそこの大学を出てフリーターになるなんてしょうもないと言われるかもしれないけど、私には(今まで12年間くらい黙ってたけど)本当の夢があった。
馬鹿にされるのでは、と書いてる今も怖くて涙を流しながら書いている。
小学校5年生くらいから、周りにはアナウンサーを目指している。と言ったし、このブログにも書いたし、なんならFacebookにも書いた覚えがある。
自分の夢はアナウンサーだと思って、昨年就活をして何社かの面接に呼んでもらった。
2018年の5月くらい。
でも面接を進めると、あ、違うなという気持ちが湧いてきた。気付いたら「アナウンサーになりたくない理由」を探してしまっている有様だった。
そんな自分が嫌すぎてある日身体が動かなくなった。スーツを着ると吐き気がして、面接を考えると動機や頭痛が止まらず、涙が止まらなくなっていた。
そして就活を降りた。6月くらい。
8月からは卒論の調査を詰めていった。合計10くらいの博物館や研究所、寺社を訪れて遺物を見せてもらった。卒論が終わる12月までは卒論のことを中心にした生活だったから、研究は就活よりも向いていたんだと思う。
就活を降りてから、もう1つ取り組んでいたことがある。それが11月にある振りコピの学祭ステージ(教室企画)
研究が忙しくなっても全8曲の振り入れをして、甘いところはあったもののやり遂げた。振りコピが好き、という気持ち以上に身体表現やキラキラしてる自分を他人に見てもらうこと、それで他人を幸せにする事が大好きだった。
実は振りコピ班に入ったのは遅く、本格的に参加したのは2018年の3月くらいで、その時から就活はしていた。でも、その頃から、「あぁ私は振りコピの方が好きだ」と気付いていた。(黙っていたけど)
私はよく、「振りコピに入ったから人生が狂った」と言っているし、それは何も間違いではない。
2018年11月。学祭ステージ。
ステージ側から見た景色と見に来てくれた自分の友達と班員の友達と興味を持ってきてくれた人、お客さん全員の顔。それがずっと頭から離れない。
就活を再開しようとも思った。でも自分のやりたいことはそんなところにはなかった。
ステージ後の賞賛と、ファンになったとの感想。
一緒に踊った仲間(マブ)の「みーるさんが1番注目されてて悔しかった、次は負けない」の一言。
私のやりたい事はそこにしかなかった。
そうして私はステージに夢を見た。
撮ってもらった動画や写真を見て、いつも仏頂面の自分が笑顔で踊っている事に気付いた。
踊る事、伝える事にプライドがあったし、全員の目を見た。全員に自分を見て欲しいと思ったし、全員に感動を与えたかった。
フリーターになったのは、ステージに夢を見たから。12年は隠していた夢を思い出したから。
私は昔アイドルになりたかったし、今もアイドルになりたい。そのためにフリーターを選んだ。
バカだという人はいるかもしれない。でも私は、本当は、大学に来たのは親元を離れて自由になるためだったし、自由になってやりたい事は踊る事歌う事伝える事、アイドル、だった。
ただ漠然と誰かを救いたいと思った。
今は、まず自分を好きになって、好きになった自分を見てもらって、誰かが救われればいいなと思う。
おしまい。