メシと道草

管理人みーるが書きたいことを書きます。

洋次郎は許されても腐女子は許されない

常識と主観

 

なんだか久しぶりにブログを書くことにしました。

 

皆さん、外でしていいい話ってどこまでですか。

 

私は猿のような腐女子ですがR18以上になってるなと思ってることはプライベートな場とクソみたいなインターネッツ以外では話さないことにしています。

 

ところがどうもそうじゃないと、R15でもダメだしヘテロ異性愛)なら外ですることも許される「恋を応援したいよね」系の会話でも不幸にも会話を聞いてしまって不快に思う人はいると。

 

例えば「つかず離れずの恋愛(BL)が好きなんだよね」とAさんと私が話していたら、たまたま近くにいたBさんが「耳に入れたくないからやめて」と言う、みたいな感じです。

 

だからどうした知らねーよバーカバーカといってしまえば終わりなんですが

それでいいのかと。

 

私のこの何とも言えない悲しみの本質に触れてないんじゃないかと。

 

まず何で、何を基にして、私の行いは否定されたのか。

 

そこに善悪は存在したのか、価値基準は何なのか。

 

気になったんですね。果たしてそれは普遍的倫理なのか、みたいな。

 

倫理学かじる程度にしかやってないので文章がふわふわしてるのは許してください。

 

はっきり言うと、私はBさんの上記の発言はただの主観の表明なのではないかと思いました。なぜなら後ろ盾となる根拠がないから。

 

この後ろに「こういった話はしてはいけない」という普遍的倫理が存在するわけではないから。

 

例えばもしこの「主観的意見」に対して発言者と被発言者の双方の共通認識として

「こういった話はしてはいけない」という価値基準があるならば、被発言者は発言者に従うのが正しいのかもしれません。

 

難しい話はやめて、この得体のしれぬ悲しみについて書いていきます。

 

これは趣味以外でも感じる場面があるのですが、悲しみを感じる理由が分かりました。

 

それは主観的な否定をしているのに多くの人がその際に表情や声色、または言葉で

自分の正当性を暗に主張しているからでした。

 

主観には正当性がないのにまるで錦の御旗を振りかざすように。

 

もちろんそうしない人もいます。でもそうしない人が正当性を主張する人にあったら戸惑うんじゃないでしょうか。

 

あえて私は主観を言います。

主観に正当性があるかのように他人を否定しないでください。

 

もちろんこの言葉には正当性が含まれてはいないので解釈は自由です。

 

でもふと立ち止まってくれたら(私にとっては)生きやすい世界になります。

 

確かに腐女子は迫害されるべきかもしれない、許されちゃだめかもしれない。

 

メンヘラも迫害されるべきかもしれない、許すべきではないかもしれない。

 

でも一番それを理解しているのは本人なんじゃないでしょうか。

 

気に入らないからって盗み聞きして否定しないでくれ~

 

ゴキブリもこんな気持ちなのかな

 

 

ところで私は今RADWINPSの音楽を聴いてるんですが、なんだこれ。

 

やけに下世話なネタだ、でも聴いてしまう。

 

個人的に生まれ変わって好きな人と混ざって1人の人間になるのは私は嫌です。

 

歌詞に天才的なエモさを感じます、すなわちエモ!

 

エモすぎてエルモになってしまいました。

 

このえぐい歌詞が有線を伝って耳に入ってくるのワクワクしますね

 

ホモマンガの広告が銀座のビルにでかでかと貼ってあるようなもんですよ

 

...

 

洋次郎くらい許されてーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!

 

ああーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!

 

PS.

最近読んだ森世さんの商業コミックスが最高でした

 

つべこべ言わずに読め

 

 

いつかレビューをブログに書きたいです。

 

 

おしまい(・ω・)