メシと道草

管理人みーるが書きたいことを書きます。

郷愁に明日なんかない

ステージが狭く感じた

数ヶ月ぶりに後輩たちに会って、その前で踊った。

今回は終わってみると反省点が目に付いた。

平たく言うと私のダンス全体が、2018年11月から大差がない事だ。

 

私はよさこいなどもやってきて、ある程度場慣れ(人前で踊る事に)していたが、今回は正直言うときつかった。

恐らく、メインは初対面の、先輩たちの踊りを注視して真面目な顔をしている人に向けて踊ったからだ。

技術があれば客席なんて見なくても集中ができる。

しかし、今回ひしひしと感じたのは「私のダンスは雰囲気重視である」と言う事だ。

 

ダンスを雰囲気に任せるということは、技術に頼って自立したものではなく、受け手にある意味では丸投げするのと同じ事だ。

そのため、受け手の感情を重視して時間が流れる。

もちろんそれは大事だが、私はその時間が自立している時間より長い。

 

雰囲気:技術はおそらく5:5がいい。

しかし私のステージは前者が8、後者が2だ。

そのため、ホームグラウンドでないところや受け手の好みのダンスでない時にはパフォーマンスがどうしても下がる。

つまり、私の事を好きな人間・その曲やダンスが好きな人間はノリやすく、そうでない人間は耐えるしかない時間となる。

 

そういう意味もあり、今回のパフォーマンスは500%の力でやった。(学祭は250%くらいだ)

それくらいやらないと楽しく踊れないと感じたし、私の場合これを技術で補えないからスタミナを一気に消費する事となる。

結果、2曲目の2番を過ぎたあたりで吐き気に襲われた。なんとか踊りきれたが、こういうことが起きるのはスタミナと技術が足りないからだ。

 

ステージから退いた後に1曲目の後も2曲目の後も寝ていたり黙って座っていたのは限界を超過していたからだ。

それでも、総合点では100%の実力を出し切ったと思う。しかし、今後もこのような踊り方ではいつ故障するかわからないので、これからは技術の底上げを図る事にした。

 

ステージに反省点が目立つにもかかわらず、私はこのステージを狭く感じた。なにも、場所が狭いという話ではない、感覚の話だ。

ここでずっと満足して踊っているのではダメだろ、と。

常に味方がいる場所からずっと出ずにひきこもっているようでは、赤ちゃんと同じだ。

 

私がなぜ踊り続けるか、というと、その根本には「自分の力で、表現で他人を幸せにしたい」という気持ちがあるからで、できるだけ多くの人を幸せにしたいのに小さな箱に閉じこもるのでは意味がないのではないか。

それを今回再確認させてくれた可愛い後輩たちには心から感謝している。

 

私のステージを見て憧れて入った、という子がいた。また、流石とか輝いているとか楽しそうとか言ってくれる後輩もいて、それとは別に一緒に踊りたいと言ってくれる子もいる。

それ自体はとても嬉しいし、感動して思い返す度に泣きそうになるが、たまに

「自分は尊敬に値する人間ではないのに、もっと頑張らなきゃ」と思う事がある。

後輩たちはみんな上手に、何より楽しんで踊るし、あまり踊らない子も活動を楽しんでいる。

端的に、いい子達ばっかりだ。

その子達に褒められると、本当に自分はそれに値する人間であるのか?と悩む事もある。

 

「振りコピ班」は実家のようなものだ。

実家は居心地がいいし、そこにいていいんだと思わせる作用がある。

私は実家である振りコピ班が好きだからこそ、それ以外でもちゃんと踊らないといけないと感じた。

 

できる事なら後輩をはじめとする褒めてくれた人達にこの先も尊敬されたいし、その為には自己の向上が必要だ。

後輩たちには悪いけど、呼ばれたら120%のパフォーマンスをしてこれからも流石、と言われるような人間でいるし、客席からの視線は殆ど独り占めする。

好きであるからこそ後輩たちには負けたくないし、私は到達点ではなく移動し続ける点Pのままだ。

いい先輩であれば「自分を超えてみろ」というかもしれないが、私はそんなありきたりな「先輩キャラ」ではない。

これからもずっと死ぬまでずっと一歩先で踊り続ける。

 

最後にまとめておくと、今自分がすべきことは基礎練習だ。今まで疎かにしてきたからと言われると耳が痛いが、気付いた時点で変われる可能性があるということ。

絶対に技術力を底上げして、次会った時もアチアチになれるように。

限界を決めるのはいつでも自分だし、データなんか当てにならない。悔しいなら向上するしかない。