メシと道草

管理人みーるが書きたいことを書きます。

恋愛のアドバイスは、いつだって「当然」でしかない

他人は、「私がどう振る舞うか」を見て、私がどういう人間かを判断する

「私はこんなに頑張っているのに・尽くしているのに」という人間を見るたびに、そうだから適当に相手にされてしまうのだ。と悲しく思う。私はそういう呟きを見るたびに本当に泣きそうになる。努力というものは適切な方法以外では成果を為さないということを真の意味で理解するのは難しい。こうやって文章を書いて、読んで当てはまるひとはきっと嫌な思いをする。しかし私は言わずにはいられないし、嫌な思いをしたならきっと当てはまってしまったということなのだ。

 

大事にされたいという人は多く、「大事にされていてうらやましい」と言う言葉を投げかけられることもあるが、私が大事にされているように見えるのは「私が、私を大事にしたいと思わせるような振る舞いをしていたから」に過ぎない。私はわがままで喜怒哀楽が激しく思ったことはすぐ口にする。相手に不快な思いをしたことをストレートに伝えるし、自分がどのように扱われたいかを明確に伝えている。もし恋人に「自分の思い通りに扱ってくれない」という反感を抱いているなら、普段の行動を振り返ってほしい。私は嫌なことをされたら泣いたり怒ったり激しく非難するが皆さんはどうだろうか。

 

よく恋愛に悩む人間が口にするのは「相手のことが好きだからこそ自分のわがままを伝えるのは申し訳ない」という趣旨のことであろうか。とんでもないなと思う。はっきり言って時間の無駄だ。死ぬまで付き合っていたいと思ってくれる人間であれば、自分が精神的・肉体的に重い病気を持っていようが、どうしようもない欠点があろうが別れないはずで、思っていることを伝えられたくらいで幻滅するなら自分は相手の「人生を変えるほど大事な人間」ではなかっただけの話だ。そんな人間と長々と付き合うくらいなら、別れて別の人間を探した方がいいのかもしれない。ほんとに大事にしてくれているのなら、「嫌だからやめて」と事前に言ったことをやるだろうか。事後に謝ったって事実は消えないのだから謝ってくれたから、といって許すのは自分を大事にしていないのではないかと思うし、相手のご機嫌のために自分が傷付くような恋愛は破滅の道しかないからやめた方がいいのかもしれない。

 

自分を大事にできない人間はあまり愛されないのではないかと思う。自分がまず自分を大事にしていないのに、誰が「この人は大事にされるべき人間だ」と思ってくれるんだろう。私はメンヘラだし、心病む病む自傷メロディだから自分にとってもここは痛い問いなんだけど、せめて人前に出る時は自己肯定感高めでいようと思っている。卑屈になっているときは極限外に出ないことにしている。ロクなことがないからだ。マジの狂人なので見ず知らずの他人に当たり散らしてしまうし、そう言う時にぶつかりおじさんやナンパに遭うと死にたくなるし消えてくれと思ってしまう。

 

久しぶりに長い文章を書いたので、多分きっとこの文章は読みにくい。だから結論をまとめておこうと思う。

主題:恋人に大切にされるにはどうすればいいか。

結論:自分を大事にして、相手に嫌なことをされたときはそれを言語化してはっきりと拒絶の意を示す。それで相手が引くようなら端から恋愛すべき相手ではないし、もっといい人がいるはず。自分が相手の大本命であるなら拒絶したことをやるはずがない。

 

おしまい。