メシと道草

管理人みーるが書きたいことを書きます。

助けてほしい。誰も私を助けられない。

【社会は不親切で、私は献身的だ】

備忘録。

ペンは剣ではなかったし、この世の中というものは感情に左右されすぎていることは前提としてわかっているつもりでいるけれど、私の見た目があまりにもか弱すぎるのか。

全てのことに、男を挟むと大体は解決する。女一人だとナメられることがあまりにも多い。この備忘録を読んでいる中に、知らない人から暴言を吐かれたことがある男がいるだろうか。ここでの知らない人というのは、クラスメイトとか、会社の人とか、スーパーの店員さんとか、そういう可視性の高い人間のことではなく、道ですれ違ったり、寿司屋で隣り合ってしまった人間のことである。私は、このような人物に暴言を吐かれたことが何度もある。直近だと北千住の回転寿司屋で、近くに座っていたおじさんだ。

 

 

寿司屋のおじさん。

私は数日前にお寿司を食べたくなってお寿司屋さんに行った。そこは全国チェーンではなく、かなり値段が安いお寿司屋さんで、職人の方が寿司を手渡す手にお米を付けながら、きりきりと寿司を握っていた。私は、サーモンが好きなのと、青魚や高級魚は大衆的寿司屋だと鮮度を感じてしまうため、回転寿司ではいつもサーモンを食べている。前提として、私は他人の頼む寿司に興味はないし、寿司屋の店員と私の食べる寿司にしか興味がない。でも隣に座るおじさんの視線を感じ、よく見るとぶつぶつこちらに何かを言っている。「サーモンばかり食べる奴は、スシローにでも行け」耳を澄ますとそのような内容が脳に入ってきた。無性に腹が立った。ぶつぶつ言うな。はっきりした声で言い返してしまう。のどぐろとヒラメを頼む。こういうことが何度もある。そのたびに外が嫌いになる。おじさんはバツが悪そうだった。やっぱりわたしのことだったらしい。俯いて。被害者のような顔をする。いつもそうだ。向こうから売ってきた喧嘩に応じると被害者の顔をするのはいつだっておじさんとおばさんだ。ああ、この人たちは私に当たることで溜飲を下げているのだ。それって、私にとってはあまりにも理不尽じゃないか?

 

公益性の高いサービス

市役所や郵便局など公益性の高い施設は、どうしても避けることができないため行くことがあるが、基本的に不親切というか一人だと向こうからの代替案はまず出てこない。なぜかこちらから、「代理人の欄があるということは委任状での処理ができると思うのですが」という内容を不服そうにいうと焦った様子で書類を出してくる。精神福祉の書類の際などに、書類に間違いを見つけた時に理由を尋ねると向こうのミスのことが多々ある。不運にも私はそういうタイミングに当たりやすいらしい。支援は、基本的に侮られている人間には向けられない。何か剣に代わるものがないとこちらの不勉強にされてしまう。

 

社会と私

総合して、社会がとる手法と私がとる手法が全く違っている。そして私はそれをそうだと見抜いてしまう。健常者より優秀でいることで健常者に侮られても生きていけるように毎日気を張っている。高IQに対して平均的な処理速度、脳の過労。ストレスがマッハなのだが、なまじ最大出力値が平均よりも高い。そのため、「私が一番考えなくてはいけない立場」になりやすく、その際は体がストレスで動かなくなる、それなのに、怖くて休めない、スケープゴートを望んでいないのに、その歯車になってしまう。結果的に「仕事を休む時は圏外に行きたい」という思考になってしまう。我ながら、異常だと思う。私は他人よりも機構やシステムについて考えすぎてしまうため、安寧のためには絶対的に仕事をやめた方がいい。悪いことを悪いままで放っていられない。生きるのに都合の悪い脳をしている。まぁ、高学歴ADHDなんか周りもこんなもんだけどね。

 

 

書き出してすっきりしたのでおわり

難産で生まれた作品が評価されなくても

いい。

 

最近ハマっている曲↓

狂感できない / 八十八ヶ所巡礼 - YouTube

 

私の話。

センスがいいけど、生かすことができない

いい大学を出ても、学歴不問の職を続けてしまう

この人生は「捨て」だし、「消費」だと思っている

人よりもできることが多くあるのに出力が間に合わない

もどかしい日々、ままならない

 

めちゃくちゃにしたい時がある

窓を割って、人との関係もめちゃくちゃにしたい時がある

破壊衝動がある

 

世間と違う表現をしてしまう私たちは

多分鬱屈している、鬱屈してるのを尖っているって表現して

社会生活を送りながら安全地帯で眺めている人間がうらやましい

そうなれない

 

センスが尖っているのではなく、世間からズレていて

私たちの普通が世間から見ると尖っていて面白いだけだ

 

だから難産で生まれた媚びない作品は評価されなくてもいい

評価されなくても愛しい子、私もそうありたいから

 

調子の良い日

今日は受験勉強みたいな動画をみたあと

服のリメイクみたいなことを半分くらいしてた

 

あとごはんは、牡蠣を食べてハッピー

 

諸事情で写真を撮らないといけないので

テーマ決めをしていた

何かを製作するのは、できるまで楽しい

 

あまり製作に負担をかけたくないので

おうちについたら10枚くらいラフを描く

写るのとシャッター押すのが両方じぶんでできたら理想なのにな

 

今日の日記おわり、

2023.1.19 雑記

プーなので一日暇だった。

日々していることでも書いていないと脳が腐りそうなので記す。

 

今日はなんにもない一日だったのでゆっくりしてたというか

私は精神疾患があるから、なにか不安があるとほかのことができない。

 

今日来るはずだった仕事上の連絡を待っていたのだけど

なんか普通にこの時間まで来てなくて疲れてしまった。

 

私はいろいろなことが怖いけれど、一番人間が怖い。

人間はいつも私に対して怖いし、妄想で怒られることもあって怖い。

 

理性的な話し合いがしたい。いつもそう。それだけだけど。

 

今日もジムに行きたかったけど、お家にいないときに怖いことが起こると嫌なので家にいた。一歩も外に出られない。

 

もうすぐ給料日だけど、振り込まれてなかったらどうしよう。

毎月そんなことを考えているから、人生が苦しい。

 

私が妄想があるのではと思うかもしれないけど

精神疾患なので妄想は少しはあると思うけど)

妄想の5割くらいは本当で、今も良いとは言えない環境にいる。

 

辞めないのはいつもプライドだけで、私はとても負けず嫌いだから損だ。

逃げると何も得られないような気がしている。

そんな呪いにかかっている。

 

親も周りの大人も悪かったのかもしれないけど

私は、まだ自分が一番間違っていると思い込んでしまう。

 

自罰的なのではなくて、多分これは罪と罰の考え方で

「私は罪があるから、罰を受けているんだ」

と思い込みたいだけだ。つまりただの理由付けに過ぎない。

 

今の精神科の治療はあまり意味をなしていないこともわかっている。

先生は名医ではないし、私は我が強いからこのままだと治らないのもわかる。

薬で痛み止めをしているだけで、根本は実は解決していない。

私は今のところ死ぬことにしか救いを見いだせていない。

私は他人に心を開くことが苦手だから。

 

私の口癖は「○○だけど、××だった」だと思う。

事実このブログでも多用している。つまるところ言い訳だけで日々を過ごしている。

 

休日はやることがないとアニメを見ているのだが、

めちゃくちゃつらい。

理由は、私の人生は苦しみの中から救われないからだ。

 

ぼっちざろっくもつらかった。私はファンタジーのハッピーエンドが許せない。

心が狭いというか、余裕がないから他人の幸せを喜べないのだ。

私は主人公と性格が似ているから、主人公が上手くいくのが嫌だったのだ。

 

だから私は、不幸な話の方が好きだ。

物語のオチは救いがない方が「現実的だ」と思う。

 

輪るピングドラムとか、水星の魔女とか、

とにかく最後は微妙に後味の悪い方が好きなのだ。

じゃないと、私だけが不幸に感じてしまうから。

 

雑記おわり。

 

破片

春の風が生ぬるく過ぎていくのが好きだ

夏は縁側にいるとアスファルトが焼けて陽炎が見えるのが好きだ

秋は気温が心地よくて散歩が楽しい

冬の夜景が好きだ、人工の光はまばゆくて楽しい

 

小動物の心臓の音が好きだ

 獣くさいけど余分なものを考えないから好きだ

花は枯れるから好きだ

 はかない命は美しいから好きだ

海は波の音が好きだ

 海岸を歩いて貝殻を拾うのが好きだ

 

音楽が好きだ

 私たちの言葉のきれいなところだけ映すから好きだ

芸術が好きだ

 崇高な存在に自分がなったように思えるから好きだ

 

 

自然と人工物がこんなに好きなのに

人間は全然好きじゃない、人間アレルギーでかいた汗で皮膚が爛れる

 

人間の生み出したものはきれいなのに

人間は馬鹿で汚いから嫌いだ

 

馬鹿で汚いから逆のものを映せるのかな

この世の中の悪いことは全て自分なんでしょうと思うと自殺の想像しか人生で楽しみがない

youtu.be

 

ヒステリーだから頭の中でお母さんヒス構文を唱えている。

私も個人だから、何か団体としての行動をとる必要がない。

もっと自由に生きていい。

でも全然自由に生きていることができない。

 

私は毎日私の不器用さに涙をしている。

誰かのために自分の日々をすりへして生きている。

でも私のできることと人間様のできることが全然違う。

 

人間様は道理がわからないから、私の言っていることがわからない。

私めは倫理がわからないから、人間様が理解できない。

どっちも悪いのに、私だけが自分のことを悪いと思っている。

 

構文に沿ってお話をしているのに、優しさがないという意味不明な言葉で

人生を否定されるのが嫌で毎日毎日息を詰まらせている。

 

じゃあ、連絡を無視して日和見をすることは正しいんですか。

正しくはないだろう。

人間様はコミュニケーションでずるをする。

自分が倫理的に正しくありたいから。

他人に悪を押し付けていれば自分が責められることはないから。

 

この世の中の悪いことは全て自分が生きているから起こっているのでしょう。

今日も不愉快にしてすみませんね。

 

私たちは何かを虐げて生きているのにそれを認めようとしない。

 

 

じゃあ、私が死ねばいいんだ。

私が死んで、灰になってその上に野菜でも埋めて、食べていくのに困らないように

犠牲になればいいんだ。

そうやって自分の罪はなかったことにできるものね。

 

気持ち悪い。

お前らが私の代わりに死ねよ。

 

 

 

 

おわり。

 

2022.6.18

日記

今日はもやもやの1日だった。

別に他人に期待してはいないけど、褒められたいわけではないんだけど私だって貶されたいわけでもないから、ああ、生きていくことは地獄なんだと思った。

 

嫌いな人の言動は知能と自制心がない人なら、大抵が嫌に見えるものだ。私は相対的に見て社会不適合者だけど知能が人よりあるからちょっとだけ生きづらい。

鬱だってカミングアウトしても、今は精神科に行かない雰囲気鬱の被害者病が流行っているから(いわゆる非定型鬱)、本当に鬱病だった私にはちょっぴりだけ世界が厳しい。

 

自称鬱病のせいで本当の鬱が厳しいなんて、投薬治療中の鬱病患者にとっては常識なんじゃないか。産業医だって本当ならちゃんと自立支援を取らせるようにしてほしい。

 

人間が嫌いだなんていう中二病ムーブは大人になるとイタイっていうけど、そうやって拒絶していないとマイノリティの私は傷つくだけだ。誰も本質的には私のことを理解できない。社会的生存能力が人並みにあるからといって、歩み寄ることはしてくれない。私に歩み寄れというけど、十分やってるのにな。

 

最近ショックだったのが、店員の私には横柄な態度をとる異常者のおばあさんが、隣の椅子に私服で座った時には普通だったこと。ちょっとだけ絶望した。

人を選んでいるんだなあ、そんなの当たり前なんだけど、私は社会から如何に自分がズレているかと思い遣ってしまった。

 

俺の授業で寝るなと説教された後に、その他の全授業で寝ても怒られないのは理不尽だし、当時の私は自殺を考えたのに大学に合格したら恩師気取り。

絶対生まれてこない方が良かった命だし、我が強いのではなく(社会ではそれを我が強いというが)多分不器用なだけだ。

 

狂人なのに普通の言葉でしゃべるのは疲れた。それが他の異常者より少しだけうまいだけなのに普通にできると思われて自立支援の受給者証だって効力を為さないのが嫌だ。

 

今日も薬のおかげで暴れずに済んでいて、昨日も泣かずに済んでいて、衝動よりも恐怖心が優ったおかげで手首は洗濯板じゃないけれど、自分の言葉くらいは自分の中にはあってもいいなと思った。