自信がないし内面を暴かれたくもない
その現実は実態なりや?
人は周りに対して自分を良く見せようとする。
私もそうだから常日頃からそうしている。
嘘をつく。
外向きに存在していても私の根の部分は変わらないから、大縄跳びにうまく入れない子どもみたいな事がある。
しかし、大縄跳びを本当は跳べるようなふりをする事はできる。
つまり、自分が感じた事や事実は変わらないけれど、私が相手に与える印象やその後の現実は変えられるというわけで、そういったことを日常的にしていると、ポジティブだという評価を受ける。
ポジティブで、純粋で無邪気で子どものように笑う。
成人した大人でそのような人間がいるとしたら、相当恵まれていて両親の仲も良く、いじめを経験したこともない人物だろうと思う。
私の中身は残念ながらネガティブで卑屈で人間不信で笑顔が全然上手じゃないけれど、そう見えることがあるらしい。
後悔もなさそう、細かいことは気にしなさそう。
好き勝手言ってくれるな、と思う。
私はそういう類の人間にガッカリする。
けれども、そういう風に見えるように私が生きているんだからそう見えても仕方ないとも思う。
嘘ばかりつくし本当の事はあまり言ってないけれど
誰かが気付いてくれるはず、なんていうのは
私だって幻想だと理解している。
しかしながら、勝手にこういう性格だと
まるで空気の読めない占い師のようにズケズケと私の内面を決めてかかる態度はいただけないなと思った。
名前を変えるのは人格を変える事だと思っている。
本名でSNSをやっても、それは実在する人間だ。
私は現実にはいない人間として日々を過ごして、都合の良いように解釈されるように限定的な言葉で会話を紡ぐ。
内面を暴いたと思ってもそこに中身なんかない。
「私」は無神経に自分を定義されたことを悲しく死にたく思っているけど、私の内面などそもそもない。
そうやって振る舞ってもきっと本当の友達なんかできないけれど、今日も出会う人たちのことを「友達のように思ってますよ!」なんていう。
自分にペルソナを設定するのは傷付きたくないからだと思う。
素の自分で接して人に嫌われたらしんどすぎる。
だいたい、深い仲ではない人間だって境遇の話や後悔の話や不安になって涙が出てしまう事や眠れない事を聞いても困ってしまうと思う。
迷惑をかけたくないから無神経なフリをするし傷付かないフリをするけど、あまりに理解されないので苦しくなる時も多くある。
本当は無神経じゃないから仲良いと思っていない人が機嫌が悪いのをどうにもできない、本当は自信がないから他人が笑ってない時は動悸がする、本当はポジティブじゃないから仕事中に人と目が合わないと死にたくなる。
本当に無神経で自信があってポジティブで自由な人間になりたかった。
そうすればこんな苦しいこともきっとなかった。
嘘は吐き続ければ本当になるし、真実は隠し通せば誰にも暴けないから、私はこれからもそうでありたいと思う自分の真似をする。