メシと道草

管理人みーるが書きたいことを書きます。

他人に自分の理想を反映して」「私たちは接しているから

メモ

人は話し合えば分かり合えるという人間は、だいたい相手のことを屈服させようとしているだけで、人間は本質的に分かり合えない。

 

話しただけでは分かり合えないから、想像でわからないところを埋めようとしない。

 

とはいえ話し合いは大切。話し合えないともっと分かり合えない。

妄想の像を他人に押し付けるのは自慰行為と変わらない。

 

他人は、他人として在るのが他人ではなくて、自分の見たい他人として見ている結果の像であるから、そのため自分が他人にどう思われてもそれは仕方のないこと。

 

故にすべての「弁明」に意味はない。弁明の必要があると一方が考えるとき、もうその関係は終わっており、修復の可能性はない。一方が他方の奴隷になることが可能であるだけ。

 

弁明を必要とする関係とは、対等な関係ではない。

 

人間は、他人のことを本質的に理解できず、そのため「他人が嫌なことをするな」ではなく、「自分がされて嫌なことをするな」という命令しか理解できない。

 

自分と他人は違うのになぜ上記の命令がどちらも実行できないか。それは、我々は他人をNPCのように扱っているからで、自分以外が人間であるということを本義的に理解できていないから。

 

嫌よ嫌よも好きのうちなのはお互いに屈服することができる関係でのみ成立する。

 

疲労感。

 

なんで上から目線で物を言われなくてはならないのか。

 

君のためを思って、に君のためなどない。

すべてはエゴであり、自分の行動に対して理由を付けることで自己を正当化したいだけ。

 

上記の人間と分かり合えない。

 

なんで年齢が上というだけでそんなに偉そうにできるんだ。

むしろ何歳も年下とつるんでいるのは精神年齢が低いからだろ。

 

精神年齢が低いのを反省しろ。

 

イタイです。

 

 

90日以上更新しないと広告が表示されるのくそ。

 

病識がある/ない(仮)

【診断前夜】

鬱が診断されたのは2021年6月の事。

それまでは鬱か躁鬱っぽいなと思っていたのだけど、ちゃんと病院には行っていなかった。

 

大学の頃鬱っぽくなった結果、(ヒモになれる見込みもあって余計)やる気が湧かなかったのもあって就活を辞めた。

その時に大学内の精神科を受診していたのだが、「よくある話で、鬱ではない」と医者に言われたため、私は今回鬱の診断が出るまでは自分は甘えているだけの怠惰な人間だと思っていた。

 

正直最初は今の精神科通院も、「鬱ではなく怠惰な人間だ」と改めて言われるのが嫌で状態が悪いままなあなあで放置していた。

そもそも、自分は所謂「理解のある彼くん」と一緒に暮らしているのもあって必要最低限の事はどうにかなっていたから、病院に行った切っ掛けは鬱ではなく不眠症の方だった。

 

 

【精神療法と投薬治療】

今は1回50分隔週の精神療法(所謂カウンセリング)と、投薬治療の2本柱で通院をしている。

 

カウンセリングは1回50分で予約料に保険が適用されないので毎回9000円ほどかかる。高い。自分の近況や状態を話すだけではなく、抑うつ気分の原因や過去のエピソードを話す事もある。

 

このカウンセリングでうつ病エピソードの診断が下り、さらに多動・衝動性が認められたため知能検査・心理検査ADHDに対しての投薬も追加される事になった。

 

カウンセリングについてはこれ以上特に説明することはないかなと思うので割愛。ここからは薬の話メインで書いていく。

 

ちなみに今現在まででこの病院には8回受診していて、次で9回目になる。

 

 

【飲んでいる薬について】

不眠症に対してはマイスリー(ゾルピデム)を服用している。この薬は1回目の診断で出された薬で、そこから変えていない。

 

鬱に対しては1回目はリフレックス(ミルタザピン)を服用していた。これは2回目の通院で出された薬で2週間ほどでやめた。0.5錠だったのだけど、凄く眠いのと、軽い記憶障害が起きていて薬を変える事になった。(異様に切り替えが早くて服用時は気持ちが楽だったけど、前日に恋人と喧嘩したことすら思い出せなかったからそういう事だと思う。)

 

現在はセルトラリン(ジェイゾロフト)の100mgを服用している。3回目の通院から徐々に量を増やしていて、100mgで安定した。

 

軽度のADHDの疑いがあるので、8回目の通院からインチュニブを服用している。こちらは最初は2錠だったが、手の震えが副作用で出て、仕事に支障をきたしたため2日目から1錠に変えている。たまに飲み忘れる。というか今朝も飲み忘れた事に今気付きました。

 

飲んでいる薬の説明はこれくらい。纏めると

マイスリー

リフレックス0.5錠→セルトラリン25mg→50mg→75mg→100mg

・インチュニブ2錠→1錠

となる。

 

 

【薬を飲む前】

薬を飲む前の自分の状態について書く。

私は、理解のある彼くん(交際6年)と過ごしているわけだが、かなり迷惑をかけながら生きてきた。

ご飯も睡眠も生活のほぼ全てを1人ではできなかった。

誇張して書いているわけではなく、実際に彼が友人との旅行でいない時はご飯を食べられず、棚にあるドーナツを半分食べて机に放置しているような感じだった。

寝る時も腕枕してもらわないと眠れなかった。昼の12時からバイトなのに朝7時まで眠れなくて、しくしく泣きながら彼を起こして寝かしつけてもらった時が何度もあった。

深夜にどうでもいいことが凄く気になって一方的に不機嫌になって近所を徘徊していた事もあった。死にたいと思った。

自殺未遂もした。

 

彼は優しいので迷惑じゃないと言っていたが、私はどれもしっかり迷惑だったと思う。そんな風に迷惑をかけるのが凄く嫌だったけれども、感情や不安はどうにも抑えられなかった。

 

故郷に住む家族にも迷惑をかけていると思った。

祖父母が大学を卒業した後も仕送りを毎月くれるのだが、お金ばかりかかって立派になれない自分が凄く嫌いでなんとかして早く死にたかった。

 

自分が生きている事で、他人が割りを食っていると思っていたし、早く、強くてニューゲームがしたかった。世界は自分がいない方が上手くいくと本気で思っていたし、自分すらコントロールできない自分がとても嫌だった。今のうちに早く死んで、自分の葬式を開いてほしいと思った。いい人のまま死にたかった。これ以上悪くなりたくなかった。

 

死んだら何も無くなるから、マイナスの状態からゼロになるのは得だと思っていたし、「死は救済」に対して異議を唱えているのは自制だけで自活できる人間だけだと未だに思う。前提が違うのだ。

私は自制だけではどうにもならないから薬を飲んで生活をしているのだからこの議論をする気もなく、私の答えは変わらない。

 

バイト先でもうまくいかなくて、どこにも自分の居場所はないと思っていたし、早く死ななきゃと思っていた。私はプライドが高くて、問題があっても自分で何とかしてしまうタイプだったから「普通」に見えていたと思うけれど、そうするのも本当はすごくしんどかった。調子がとても悪くて「普通」から漏れてしまう時があった。そんな時に頑張っていないといわれるのがすごく嫌だった。

 

私は自分にも他人にもやや厳しいタイプで、それを自覚しているからこそ無能を是とできなかった。この世の中は無能ではないなら無能に優しくするべきという不文律があって、私はぱっと見は無能ではなさそうに見えるから、優しくできないことを責められることもあった。未だに自分の無能を他人に言うのが嫌いなので、鬱の話はバイト先などではしていない。親たちにも話していない。

 

ちなみに今は普通に養ってもらっているし祖父母からの仕送りもあるので、働かなくてもギリ暮らせるが、それでも一応バイトをしているのは1回ガチのヒモになった時に自己肯定感が下がりすぎてずっと精神が良くなかったからです。

 

 

【自己診断と診断】

不眠症的な症状はここ数年あって、これに関しては多分不安症的なものが原因だったと思う。とりあえず不眠症は自分の中でも受診前から確信を持っていた。実際不眠症だった。

 

鬱については、私は躁鬱だと思っていたし、今もたまに躁鬱なのではないかと思う。実際調子の良い時・悪い時の波がかなりある。

調子の良い時はなんでもできる気がする、全能感がある。実際この期間に私は家事をまとめてやっていたり自分のできる範囲でやりたい事を全部やっていた。

逆に調子の悪い時はなんにもできない。朝起きられないから彼に体を起こしてもらう、怒られたくないという強迫観念から仕事には行けるが突然死にたくなって涙を流しながら仕事をした。休日に被ると一日中ベッドから動けなかったし動けても夕方からだった。

だから、躁鬱だと思っていたけど、診断は鬱だった。とにかく、正式に鬱だという診断が下りたので今は自立支援を申請していて、証明書が届くのを待っているという状態。

 

ADHDについては、よくわからない。仕事とか勉強とかで困った事もないし多動で困った事もほぼない。なので、薬も必要ないかなと思っている。けど、躁鬱だと思っていたのが鬱+ADHD(多動・衝動性)なんだとしたら納得もできるのでとりあえず様子見。

これに関連して知能検査も受けたけどこちらは結果待ち。

 

診断を受けて楽になった、鬱病ADHDがわかった事で生きやすくなったとかは私は感じない。

というか、病気や障害(特に精神的なものかつ日々の生活ができないほどではないものに関して)は「健常に対する、異常」だと私は捉えていて。

つまり、「私も型に当て嵌めて異常なだけ」だと思っているかつこの世界を私なりには正確に認知して自分との違いもある程度把握しているので、あまり性格や考え方は診断以前と変わっていない。

 

ただ、上記の薬を飲んで多少変わった事もあったので、そちらを次の項目で説明しようと思います。

 

 

【薬を飲み始めて変わった事】

まず、不眠症に対しては完治しているかは分からないが、薬を飲んで毎日睡眠と起床ができているので私は問題がないと感じる。

 

よく、特に向精神薬睡眠導入剤を常飲している人間に対して、薬漬けと表現するタイプの人種がいるが、私はこれがあまり好きではない。そもそも、症状に対して適切な薬が処方されている場合は薬漬けという表現はやや不適切に感じる。薬が必要だから飲んでいるのだし、今後徐々に減らしていく事は当事者なら知覚している事で、他人が心配して口を出す事ではない。余計なお世話である。究極的には私の死も私の責任なので口を出さないでほしい。

 

そして、病気や障害は、私は個性ではないと思う。違いではあるがそれはアイデンティティにはならない。薬を飲み始めて確信したのは、薬を飲んでいても(鬱や障害がなくても)、薬を飲んでいなくても私の人格は変わらないということだ。ただ、調子がいい、くらいのレベル。特に自分は元々調子がいい時もあったから、薬を飲んでその状態が安定しているという感じだからかもしれない。

 

話が若干逸れたので本題に戻る。

 

ADHDに対しての薬。これは最近処方されたものなのでまだ1週間ほどしか飲んでいない。ちなみにこの薬は薬価が高く、3割負担だと1か月5000円ほどかかる。

まだ効果がよくわからないし、そもそも私はADHDで本当に困ったことがないのであまり実感がない。けれど今日半年以上延ばしていたことを完了できたし、振り入れも1週間前にはちゃんと始められている。

 

ここからは鬱に対しての薬を飲み始めた後からの話をする。

 

まず三大欲求から。食欲・睡眠欲・性欲だとして、服薬前は睡眠欲ばかりだった。ご飯は食べていたがこれも栄養的な意味で食べていただけで特に食欲があったわけではない。ただ、ストレスが溜まると口寂しくなることが多くて暴飲暴食をしていたのでやつれた事はない。

性欲についてはなかったし、これについては特に困っていなかった。理由は食欲や睡眠欲と違って別に生活に組み込まなくても全く困らないから。

睡眠欲については、もうずっと眠かった。仕事から帰って横になると何時間か寝てしまう事もあったし、仕事がない日は起きられず、仕事がある日も仕事前ギリギリにしか起きられなかった。十何時間寝ても眠かったし、寝ていたかった。

薬を飲むと、食欲と睡眠欲に関しては適切になった。食べる量を調整できるようになった。自分の量を食べ切って、自制もできるようになった。十何時間も寝なくなった。生活がかなり改善された。性欲は変化を感じない。薬に性欲減退の記載があったような気もするが、多分性格もあるんだと思う。

 

次に生活の話をする。主にバイト先とかの事になるのだけれど、こちらは薬を飲む前がかなり悪かった時期なのもあって、劇的に改善されたように見える。

あまりイライラしなくなった。お客さんにクレームを入れられても深く落ち込むといった事はなくなったし、褒められる事も増えた。接客の点数評価があるのだが、それも最初からだと45点くらい上がった。飲む直前と比べても15点は上がってほぼ満点になった。お褒めの言葉も貰った。わざわざ電話で。

バイト先でうまくいくようになったので生活もうまく送れるようになった。そもそも薬もあって落ち込みが浅くなったのと落ち込む基準が高くなったので落ち込む事も減っていたのだが、今はかなり安定していて殆ど気持ちの落ち込みで寝込む事はない。仕事中も泣かなくなった。家事が毎日できるようになった。

 

最後に恋愛について話す。恋人と一緒に暮らしているので生活の変化の延長ではあるのだけれど。

私は鬱の診断が出る前は、かなり恋人に迷惑をかけていたし頻繁に彼に当たってしまっていた。大声で捲し立てることもあった。切っ掛けはいつも些細なことで、彼の気が利かないとか、そういうどうでもいいことだった。毎回、自分でも何故怒りが抑えられないのかも理解できなかった。感情と理性の温度が乖離していて、頭では愚かなことだと分かっていたのに、身体が追い付いていなかった。彼を怒って落ち着いた後はいつも早く死んでしまいたかった。意味の分からないことで怒ってしまう自分が嫌だった。

感情と理性があべこべだったから、彼に「死んでくれ」と口が喋ると心の中では「自分が死んだ方が彼は幸せになれる」と思っていた。二重人格みたいだった。

診断が出て薬を飲み始めてからは、滅多に怒らなくなった。薬を飲む前にしたようなことは一度もしていないし、今後もしないと思う。感情と理性が同じ温度というのは、とても心地がいいことで、すべての感情が理論的に説明でき、自分の思った通りに身体が動く。自分を自分で制御できることがとても喜ばしく感じる。

今までは、自分と別れた方が相手は幸せになれると思っていたので、なあなあだったけれども相手との今後の人生についても少しづつ考えられるようになった。鬱気分だと未来のことは全然考えられなくて、深い霧の中で3m先を考えるような日々だった。

 

 

【まとめ】

精神科は最初は抵抗があるし、薬も嫌な感じがするかもしれない。カウンセリングや心理検査・知能検査も自由診療のため高いしお財布も厳しいかもしれない。

けれど、楽になるのであれば絶対に行った方がいい。強制はしないけれど、割と薬を飲むと楽になることもあるので。受診のメリットがデメリットを超えるのは、鬱などの精神が不安定なことに対するなんとなくの原因がわかっていて(漠然とした仕事に対する不安など)かつその状況を続けなければならない人間かと思う。その中でも、仕事が原因の人は劇的に改善されることもあると肌で感じた。

薬についてのネガティブな感情がある人はお医者さんや薬剤師さんにしっかり相談すると不安が解消されるかもしれない。私は科学を信奉しているのと、薬が心身に及ぼす影響を実感として持てるので薬を飲むのは好きな方だからあまり意識したことはない。

カウンセリングは高いけれど、薬の処方だけに利点があるのではなく、誰かに自分の体験を話すことで自己理解が深まることもある。特にプライドが高くて周りに相談できない人にはお勧めできると思う。私は友人や恋人にさえも話していない葛藤もあったし、自分の心の中で思うだけで口にしていなければ案外把握できないこともあると分かった。理解していても納得はしていない状態が、理解して納得もしている状態になった。

あと、心理検査・知能検査は私は面白そうだったから受けた。ちなみに知能検査に関してはある項目とある項目の差が激しいと悪いらしいですよ。

 

 

書くの飽きたので終わります。また適当に更新します。

とりあえず今後はいとこ叔母の話と映画のレビューと自己理解の話を書くつもりなんだけど、この記事自体が自己理解の話だからたまには娯楽系の記事を書きたいなと思います。なので多分映画の話になると思う。6000字になった、私にしては長いね。終わり。

自信がないし内面を暴かれたくもない

その現実は実態なりや?

人は周りに対して自分を良く見せようとする。

私もそうだから常日頃からそうしている。

嘘をつく。

 

外向きに存在していても私の根の部分は変わらないから、大縄跳びにうまく入れない子どもみたいな事がある。

しかし、大縄跳びを本当は跳べるようなふりをする事はできる。

つまり、自分が感じた事や事実は変わらないけれど、私が相手に与える印象やその後の現実は変えられるというわけで、そういったことを日常的にしていると、ポジティブだという評価を受ける。

 

ポジティブで、純粋で無邪気で子どものように笑う。

成人した大人でそのような人間がいるとしたら、相当恵まれていて両親の仲も良く、いじめを経験したこともない人物だろうと思う。

私の中身は残念ながらネガティブで卑屈で人間不信で笑顔が全然上手じゃないけれど、そう見えることがあるらしい。

 

後悔もなさそう、細かいことは気にしなさそう。

好き勝手言ってくれるな、と思う。

私はそういう類の人間にガッカリする。

けれども、そういう風に見えるように私が生きているんだからそう見えても仕方ないとも思う。

 

嘘ばかりつくし本当の事はあまり言ってないけれど

誰かが気付いてくれるはず、なんていうのは

私だって幻想だと理解している。

 

しかしながら、勝手にこういう性格だと

まるで空気の読めない占い師のようにズケズケと私の内面を決めてかかる態度はいただけないなと思った。

 

名前を変えるのは人格を変える事だと思っている。

本名でSNSをやっても、それは実在する人間だ。

私は現実にはいない人間として日々を過ごして、都合の良いように解釈されるように限定的な言葉で会話を紡ぐ。

 

内面を暴いたと思ってもそこに中身なんかない。

「私」は無神経に自分を定義されたことを悲しく死にたく思っているけど、私の内面などそもそもない。

 

そうやって振る舞ってもきっと本当の友達なんかできないけれど、今日も出会う人たちのことを「友達のように思ってますよ!」なんていう。

 

自分にペルソナを設定するのは傷付きたくないからだと思う。

素の自分で接して人に嫌われたらしんどすぎる。

だいたい、深い仲ではない人間だって境遇の話や後悔の話や不安になって涙が出てしまう事や眠れない事を聞いても困ってしまうと思う。

迷惑をかけたくないから無神経なフリをするし傷付かないフリをするけど、あまりに理解されないので苦しくなる時も多くある。

 

本当は無神経じゃないから仲良いと思っていない人が機嫌が悪いのをどうにもできない、本当は自信がないから他人が笑ってない時は動悸がする、本当はポジティブじゃないから仕事中に人と目が合わないと死にたくなる。

 

本当に無神経で自信があってポジティブで自由な人間になりたかった。

そうすればこんな苦しいこともきっとなかった。

嘘は吐き続ければ本当になるし、真実は隠し通せば誰にも暴けないから、私はこれからもそうでありたいと思う自分の真似をする。

言葉について

雑記

独り言のようなブログだが、これを頻繁に更新していた時期があった。

Twitterも独り言なのだけれど、長々と何かについての解釈を垂れ流したり、人生哲学を自分なりに思考したりしていた時期があった。

 

今でも私のツイートやブログは冗長で、蛇足に蛇足を重ねた文章になりやすい。

が、そんな私の文章を読んで、雰囲気やそこに至る考えが好きだと、実際に名指しで言われた事もある。

 

実際のところ、上記の好意的な印象は、元々私の人間性を知った上で受ける印象だなと思う。

別のブログで長々と自分語りをしたことがあって、長い、よく書けるな恥ずかしくないのかと言われたことがあるので。

 

話がズレたのだが、私はその通りだと思う。

生き続けている事以外に恥ずかしいことがないからネットに文章を投げ、顔を晒す。

逆にいうと他人に恥ずかしくないのかという人は、生きているのが恥ずかしくないのだと思う。

 

言葉というものは、長ければ長いだけ恥ずかしいもので、人生と同じだ。

私にとって生まれてこないのが全て良いのと同じで、言葉も生まれてこない方がよいのだ。

 

例えば、愛 という簡潔な言葉に「愛とは」から始まる説明をつけるからそれが実態から離れていく。

私たちは言葉を尽くせば尽くすほど、その事象について理解すると思い込んでしまいがちだが、実際は逆で言葉を尽くせば尽くすほど実態から離れて本質から乖離してしまう。

 

対話しよう考えよう理解するために言葉を尽くそうと言うが、そんな事をすると概念に無駄な衣を着せて本質を隠すだけだと思う。

 

私たちは本来の意味で解釈などできず、美しい言葉の旋律は単調が元である。

華美な装飾は本意を隠してしまう。

 

きっと釈迦と私たちの思う仏教は乖離しているし、イエスキリストと私たち個人が思うキリスト教も乖離している。

 

人生も言葉も、本当に大事なことはきっと単調で聞き飽きたような短文なのだと思う。

 

人を大切にしなさい

自分勝手ではなく周りを見て行動しなさい

 

自己啓発本など読む必要はなく、自分が日常で本質だと思ったことを集めた方が早い。

 

言語化は物事に名前をつけ、説明をし、それが何かを詳らかにするというが、本当にそうであるか。

 

私たちはテレパシーが使えないから説明する為に仕方なく言葉を使っているに過ぎない。

 

そして、上記の文章を最後まで読んで、言葉を尽くせば尽くすほど詳細になる、実態が浮き出る。という人は何も説明することがないなと思ったところでこの雑記はお終いにしようと思います。

 

肝心なことは目に見えない、サン=テグジュペリ星の王子さまで書いてるから教訓みたいにされがち。

飽き性なので人生に飽きてきました

死にたいのか死にたいのか分からないしあーめんどいな、人生やめたいなって思うから死にたいんだと思うわ

 

飽き性なんですよね、人間関係も持続させるのが下手だから、ずっとTwitterを辞めることができない。

Twitterであまり絡まないフリーターになってからの友達とはLINEするのがめんどくさいから基本あったときに日程を決めています。

 

大学以前の友達なんか全員縁が切れるほどの飽き性で、ゲームも漫画も途中で辞めちゃうことが多くて、社会生活もそんな、なんか1年以上続くバイトがほぼない。

 

この前クビになったし。

 

なんかクビ通告された8月下旬くらいから、大学卒業してフリーターでもそれなりに働いて、土日はステージ的な用事を入れていたのですけれど、ぷつんと切れてしまった。

 

うまく言えないし、私の「死に対する気持ち」は説明するほどズレていって、言葉がずっと表面を滑っている気がする。

 

元々体力も気力もないから就活もやめちゃって、正社員なる気もないような人間が月平均180時間くらい労働して、週1で1日拘束のステージ的な予定をこなしていたのは結構大変だったなと思う。

 

なんか時間が経って慣れるたびに上手くできないしもう死んじゃった方が楽なのでは?という気持ちが高まっていく。

 

休むのが下手なのだけど、同じく休むのが下手で数ヶ月予定がない日がない地下アイドルの友達が鬱を申告されたとカラカラ笑っていたら、私はそれほどでは無いなと思ってしまうけれど。

 

キャパなんか人によって違うのに、他人のキャパで自分を測ってしまってずっと苦しいななんだか。

 

170時間働いて、40時間ライブ的なことして、合計210時間は拘束されていた時はちゃんと死にたかったのに、今はちゃんと死にたいがなくて人生にメリハリがない。

 

ちゃんと死にたい時の方が私は、健全なのだと思う。その時はちゃんと生きたいと思っていた日もあったから相対的に死にたかったし、自傷をしていたので。

 

私は切る自傷はしないけれど、ちゃんと殴ったりしていたい皮膚になると鼓動は早くなるし脳内麻薬が出て生きていたいと思える時もあるのだ。

 

ぷつりと糸が切れたけど、やすみ方がわからないので、予定がない時間は寝て過ごしている。

自分にお金を使うのが難しいから毎月稼いだ半分は余してしまう。

 

嫌だなぁ。

 

そういや生きづらびっとなるものに相談して、追試まで受けたのに、なんも解決しなかったし適当にいい子ぶってしまった。

 

過去の親子関係のトラウマで今の恋人をぶん殴ってるって言われてもピンとこんしね。

 

恋人いるメンヘラは甘えとか、勝手に言っとけや。恋人殴るメンヘラなんか存在価値ないとか勝手に言っとけや。存在価値ないでいいし好きでやってるわけじゃないんよな。

私が全面的に悪いけどね。全く恋人に関係ない事でも殴ってしまうんだよな。

気が狂っている。

 

ビール瓶とかお家になくて良かったな、多分殴っちゃっていたので。わかんねぇけど、人生飽きたわマジで。

 

Twitter更新無くなったら死んだと思ってくれ。そういうこともあるし自殺者なんか珍しくないよ。多分死なないんだと思うけどね。同居人いるから。死ぬ暇ない。

 

書くことない、おわる。

日々

褒め言葉を上手く消化できない

文章やダンス、歌や演劇、着飾ることで人生も、その全てが私の表現となり得る。

自分を表現することに関しては周りから一定の評価は得てきたが、私はその評価(特にプラスのもの)に上手く向き合ってこなかった。

嬉しい、ありがとうという言葉は出てくるが、そのどれもが表面を滑って、まるで人形になったような窮屈を感じた。

自己評価と他人からの賞賛の間に溝がありすぎて、本当に嬉しいのかよくわからなかった。

マイナスの評価には深く傷付いた。罪を犯した訳でもないのになぜ(特に)匿名で酷い言葉をかけられなければならないのかわからなかった。

また、「脇役でいようと努めているのになんで表に引っ張り出されて殴られなければならないのだ」と理不尽に思うこともあった。

 

人生においてでしゃばったつもりは一度もない

自分が好きな事をしていたら前に前に進んでいただけで、目立ちたいから表現をしているわけでは断じてない。

私にとって踊ったり文章を書いたり表現をすることは承認欲求よりも好きの気持ちが大きい。

だから実を言うと他人の評価に晒されるのがめちゃくちゃ怖い。

インターネットにモノを上げておきながらなんなんだと思われるかもしれないが、私は投稿や披露を含めて、誰かに何かを伝えることが好きなのだ。

伝わる人にだけ伝わればいいと思っているし伝わらなかった人に心無い言葉を掛けられるのはしんどい。

でしゃばり みたいな言い方をされることもあってそこそこ落ち込んだ。

楽しんでる人間にケチつけるの恥ずかしいよとかって返したけど内心こんなに伝わらないのなら死にたいなと思っていた。

 

自己評価が低い

「ダンスも上手くないし華もないので死んでしまうかと思う日も多かった」

私が先日投稿した文章からの抜粋。

意味がわからないと感じる人もいるかもしれないけど、私は本当にそう思っていた。

1つ目のコラムと被るが、自己評価が低い。

そもそも以前から私が自分の事を好きになろうと思っていたのは「自分を好きだと言ってくれる人に対して申し訳ないから」であったし、主体的に自分を好きになろうみたいな気持ちはない。

自分を好きになった方が人生楽しいよ、なんて周りの人には言ってるし周りの人がそれを実践してハッピーになっていくのを見ながらなんで自分は変わらないんだと絶望もしていた。

私はダンスも上手くないし、華もないと思っているが、その主観と客観のズレも多少あるようでそれにも悩まされていた。

ダンス上手い、表現力がある、みーるらしい踊りだ、顔や雰囲気がいい、華がある、オーラがある

実際言われてもピンとこなかった。苦しかった。

私が見る世界はいつもドス黒いフィルターがかかっているのか、周りが見る世界に綺麗な加工がされているのか、悩まされた。

 

「私らしく」踊れないならなんなのだと思った

振りコピは、コピー元の振りがあってそれを真似して踊るものだ。その覚える行為を振り入れと呼ぶ。

振り入れはいつもめちゃくちゃ苦しかった。

ダンスが下手すぎて、死にたいと何度も思った。

そんなことで と思うかもしれないが、私にとっては生存に関わることだった。

踊ってる時に人が褒めてくれたから、生きていてもいいのかなと思えた。好きな事をやって褒めてもらえるのはピンとこなくても悪い気はしない、嬉しいと分からなくても生存を認められている気がした。

ダンス以外でもそう。

好きな服やメイクで自分を表現すると褒められることが多々あった。

「自分らしく」あれば肯定されるのだと、生きていてもいいのだ、必要とされているのだと安心した。嬉しいと言う気持ちよりも安心が勝る感じ。

でも特に振り入れをしている時は自分らしさが分からなくてもうめちゃくちゃ泣いていた。

未だに振りがわからない時ちょっとだけ泣く。

「私らしく」踊れないなら、「流石」といわれない私は、なんなのだ。なぜ生きていなければならないのだ、とさえ思った。

振りを覚えていない期間の身体の動かなさは異常で、ほんとに消え入りたかった。

 

めちゃくちゃ忙しかった今年の振り入れ

7曲中、完全に覚えていたのは2曲で、10月からバイトがめちゃくちゃ忙しくなっていた。

今現在ほぼほぼヒモみたいなものなので娯楽でバイトを始めたんだけど、出戻りで即戦力なのもあり時給1000円程で15万超えるくらい入っていた。

そんな中、特に本番10日前くらいからは10時〜21時までバイトで22時から25時半まで振り入れみたいな生活をしてて26時くらいに寝ていたんだけど、足の疲労がすごかった。

お風呂上がりフットマッサージャーに片足10分突っ込む生活。

今回もいつも通り弱音を吐くこともあったけど、あまり長い時間弱音を吐いていても振り入れが進まないだけだったので30分くらいで立ち直っていた。

お陰で完璧とは言わないまでも、及第点以上のものは見せられたのかなと思います。ソロ曲とか1番後回しにしたせいで3日くらいしか振り入れ期間が無くてめちゃくちゃ病みそうになりました。

でも病んで振り入れ諦めたらもっと病むことが分かってるので「下手だ、できない」って30分泣いて「気持ち切り替えよ」とか言ってた。ウケるね。

忙しいと病まないって言う人いるけど、あれは嘘ではあるけど、忙しいと病んでる暇はないなって私も思いました。

相変わらず一緒に踊る人みんな華があるしダンスが上手いしでバチバチに病みそうだったんだけど、流石に時間がない中毎日努力してるうちに他の人がどうとか考えてる暇なくね?ってなりました。成長。

誰がなんと言おうと私が1番だしお前が1番。それぞれが「自分が1番だ」って思ってたらいいのでは?って思った。

自分より巧い人を見ると主役の座を譲ってしまいそうになるし、私は今まで言わなかったけど誰かと踊る時いつも心の中で相手に主役を譲ってました。去年も。

そういう意味では今年はめちゃくちゃ成長できた気がします。他人からどう評価されようが自分は素敵で無敵みたいな気持ち、人間皆持っとくべきなのかもしれない。誤魔化しではなくて。

 

表舞台で、初めて「最強」になれた

卒業しても学祭出るのかよ。私もそう思う。

そう思っていたから出るか出ないかについてはめちゃくちゃ煮え切らない態度を取っていて「呼んでくれたら出るけど〜」みたいな態度でいた事はマジで後輩に迷惑かけたな〜と今になって思います。

その節は本当にごめん、ゲスト申請してくれててありがとう。

昨年、薔薇の花束をもらって大号泣して終わりにする予定だった活動に卒業してまで参加することに微妙な葛藤はあったが、せっかく出るのだから、と新曲をいくつか増やした。

今年の曲はどれも気に入っているけれど、その中でもやはりソロで踊った「乙女解剖」についてはかなり気に入っている。

衣装は4月の暮れに受注して10月末に届いたrurumu:のピンクのワンピースで、曲は乙女解剖。振り入れの難易度もかなり高く、前述のとおり振り入れにかける時間がかなり短くなってしまったため、プレッシャーはひとしおだった。

ソロ曲というものは、2人以上の曲と違って誰にも主役を譲れないもので、自分が主役になるしかない曲、でもある。

昨年よりも難易度が高い曲で衣装についてもかなりこだわりをもって選んだこの曲で、私が見せたかったのはダンスでも表情でもなく「私の22年間の生き様」だ。

諦めと寂しさと少し意地を張って完璧を装うとしてきた不完全な私の生き様が少しでも伝わっていたら嬉しいなと思う。

ダンス表情メイク髪型スタイル衣装メンタル、全てでもって今の私の「最高最強」になれたのがこのソロ曲です。

ちなみにこれについては表情ダンスともにわざとらしさをなるべく排除して自分らしく踊っているのも若干のポイントで、今動画を見直してもかなり自分らしい表現だなと感心しています。(Twitterをフォローしている人は、固定ツイートにまだあるのでこの文を読んだ後改めて見返してもらえればわかると思います。)

そんな風に、「自然体の自分」をパワーアップさせてあくまで自分としてこの曲を踊り切ったことはかなり肯定感を上げてくれたし、ダンスや表情について特に劣等感があった私にとっては、自分のあるべき形を見直せたきっかけでもあります。

見てくれた人、感想をくれた人、改めて感謝です。

ちなみにこの曲の私が設定した裏のテーマとして「人形遣い」というものがあるのですが、これは私が自分の人生を自分なりの客観を交えて主観的に表現するぞ、という気持ちがあったよということです。

私はいつも、ほかの人が思っているより弱くて、評価と自己評価の間の差異で希死念慮を抱くほどの人間なのですが、今回の舞台上での評価は以前よりもすとんと自分の中に入ってきました。

毎度意識的にほかの人間を励まして褒めまくっている自分が、ほぼ初めて他人からのいい評価をちゃんと受け入れて、自分を褒めることができたのは成長かなと思います。

 

おわりに

まとめるのが難しいのですが、楽しかったです。本当に。振りコピは人生だなって。

最後に。今回かかわってくれた皆さん、舞台に出してくれ、一緒に踊ってくれた後輩たちへ。心からの感謝を。

また、誰かと比べて自分がちっぽけに感じてしまい、主役を譲ってしまうあなたへ。

どんな素晴らしい技術や存在感を持っている人がいても、あなたらしいダンス(表現)はあなたしかできないから、主役を譲らなくていいです。でしゃばりと思われても、誰もあなたを否定なんかしちゃいけないと思ってる。主役になりたいのに自分の人生の主役まで譲って、誰かの引き立て役にならなくていいヨ。

 

追記

今まで努力してないよ〜みたいな顔するのが癖だったんですけど、今回はバリバリ努力しました。

いやいつも努力してるんですけど、今回初めて「努力してるよ」って言えるくらい自分を認められたことがとても嬉しいです。

努力したよ。

恥の多い人生を送っています

大学卒業、就職せず

理由はブログで述べた通りで、そこそこどこにでもあるような話でした が 私は自身の凡庸な人生が波風1つ立たないまま進んで行くことに強い不安を覚えるのです

髪が茶色から黒になって皆と同じ窮屈なスーツに身を包むことで、自分の小指の先ほどの個性も消えて 私には死んでしまうかのように思えたのかもしれません。

 

 

コンパニオン、キャンペーンガール

ヒールが痛く、今まで経験してきた労働の中で1番 何かがすり減るような仕事でした

この時期 生活のために仕方なく染めた黒髪は 案外似合っていて、少し複雑な気持ちになりました

足や胸をジロジロ見てくるおじさんは実在していて 私はどうしようもなく小さくなりました

立ち仕事に長時間労働、おまけに苦手な早起きで遠いと往復4時間近いところに派遣され 倒れた時にはストレス性の眩暈と高熱 扁桃炎に肺炎と、なぜ気付かなかったのか不思議な 小さな不調が重なっており 若干揉めて 私はその仕事をやめました。

 

 

ニート

貯金があった

それと倒れた後の肺炎が長引いたのです

下記の在宅サービス業はしていましたが、生活っぷりからいうと私は世間で言うところの穀潰しでした

2ヶ月半くらいその状態で 毎日ご飯を食べて 寝て 起きて家事をしての繰り返しでした

もはや生産活動など1つもなく、消費活動さえ満足に行えませんでした

この時期の迷走っぷりは凄まじく、2軒のコンカフェに応募して落ちたり

自棄になってできもしない活動頻度のアイドルに応募して書類が通り、話を聞いたら怖くなって辞退するということも2回やりました

何者かになりたくて 誰にも必要とされなくて、では私は何のために生きているのか 死んでいるのと同じではないか と毎日のように泣いていました

お金を稼いでいなかった事も大きかったと思います

実は忙しくもないのに食事もロクに取れなかったです。

 

 

通話サービスの中の人

キャラクター性がある通話サービスの中の人をしていました

周りの人が同人声優、みたいな環境でした

嫌な人にも沢山会った

まるで私に心がないかのように お金を使う価値がないのに金を払っているんだというように そういう風に扱われた事もあって 人気な時期もあったけれど 次第に辞めたいなと思うようになりました

ちょうど違う労働について もうそれらに構えなくなり 実もならないので辞めました。

 

 

飲食店で働く

現在も続けています

どこに応募したら受かるのかもう分からなくて、大学1年の時に働いていたお店の系列店に応募しました

暫くはこれが救いだったし 生活を送るという点においていうと今でも救いです

死ぬ事だけに救いを求めていた日々から抜け出せた事は感謝してもしきれないし、東京は最賃が上がる時期だったので 良かったです

でも これでいいのか フリーターとして働いていれば幸せなのか 自分のやりたい事はなんだと考えて再び病みました

こんな事で病むなとか 本当に鬱の人には怒られるかもしれないんですが ニートの時と同じような日々が続きました

食べなかったり 壁に頭をぶつけたり 軽い自傷を行う事も多々ありました

足立区の路上で座って酒を飲んでいたらおばさんが心配してくれたので、足立区も捨てたものではないなと思いました。

 

 

踊ってみた

本当はステージに立ちたかったのですが、誤魔化しでやっています

仕事もまともにできない 生活もまともにできないのに 趣味1つさえも持てないなら自分は何者なのかと思いました

でも コメントがついたり再生が伸びると嬉しいとは思いますが やはりステージとは全然違った

二度寝して起きたらコメントが運営に削除されていた事もあり、あ、嫌な事書かれてたんだってちょっと怖くなったりもしました

生きて踊ってるだけなのになって、それも私の勝手ではあるのですけれど。

 

 

地底アイドル

先日顔合わせをしてきました

なんでここにいるんだろうと思うような若くてかわいい子もいたりして なんだかよくわからなかったです

ともかく、ステージに立たないとよくわからないのかなぁとも思いました

不安も不満もあったりなかったりして ? 複雑な心境ですが、 何事も多分やってみないとわからないから なんもいいたくないや

でも多分みんな興味ないと思うからこっちのアカウントでは詳しくは言わないです

誰も来てはくれないんだから最初から期待なんかしたくないからです

すごい後ろ向きだし そこを直さないといけないってことはわかってるんですけど なかなか直らないです

自分が愛される価値のある人間だと思えないな、自分の人生くらいは自分をセンターにしてあげたいのに。

 

この4月からはこんな感じで過ごしています

大学時代の友人と会うのは楽しいです

ずっと大学生でいたかったな

かなしい。

 

後輩はすごいって お世辞でも言ってくれるけど 私は何もすごくないし どこにでもいる人生の落伍者だ

弱い人間だった過去と決別しようとしたのに 未だに弱い人間のままだ

小学校に上がって名字が変わっていると いじめられる前は明るい人間だったらしいが 私はもう 虚勢を張らないとほかの人間の顔を満足に見つめることさえできない人間になってしまった

どれだけ仲が良くても 顔色を伺ってしまう自分がものすごく嫌で 死にたいほど惨めだ

本当は誰よりも自分を見て欲しい気持ちが強いのに 病んだ時に突き放す人間を見ると 裏切られたと感じる自分が嫌で もう誰も私を見ないでくれと思う時さえある

去年の学祭で 一緒に踊った後輩が お客さんの視線が全部私の方に向いていたと言った 悔しいと聞いた

正直言って複雑な気持ちになった 私はそんなに大層な人間ではなく 気の所為だと思うのだ。

 

実は今年もゲストとして学祭で踊ることになった

見にきてくれとは頼まないが 来てくれたらそれは嬉しいし ついでに楽しんでいってほしいなと思います

私が踊るのをみて サークルに入ったという声に 未だにうまく向き合えていない

あと1ヶ月でこの性格がどうなる ということはないが もう少しだけ 他人の言葉を認められるようになりたい。

 

 

おわり。